2012年9月15日土曜日

157. 高鴨神社から阿田峰神社・梨園

「アカシア紀行・俳句」2012年9月7日(金)

  まだ暑い9月の白露の日、いつものメンバー6人で、奈良・御所市の
高鴨神社から五條市大野新田町の阿田峰を訪ねました。

  高鴨神社は金剛山のふもと、御所市鳴神にある鴨一族の先祖、
阿治須岐詫彦根命(あじすきたかひこねのみこと)ほかを祀る神社で、
京都の加茂大社など全国の鴨神社の総本山とされています。
車では、南阪奈道の葛城IC東の太田南交差点から山麓道(30号線)を、
南へ約8キロです。

  11時前に神社に集合し参拝後、木々のうっそうとした境内を
散策しました。
本殿への石段の右には、右城暮石先生の句碑

     天の神地の神々に植田澄む     暮石

が昭和54年9月の銘で立ち、台座は苔におおわれていました。

  本殿手前左の池には、山からの水が音立てて流れ落ち、浮舞台が新しく
作られ、菱の葉が浮き、ところどころ白い花が咲いています。
菱の葉の上のみをトンボが往復していました。
本殿右手には東殿、左手奥には西殿があり、法師蝉が鳴いていました。

  5月には境内右手に500種2000鉢以上といわれる桜草が展示されますが、
いまは、菖蒲の鉢が数十並んでいました。

  神社の左手には「葛城の道・歴史文化館」があり、
受付に一人の男性職員がおられ、どこからと聞かれました。
館内は狭いですが、弥生時代の土器などが展示され、葛城の道の
写真つきの案内板がいくつか掲示されています。

       葛城の水落つ池に薄紅葉      常朝

              (高鴨神社:クリックで拡大:以下同じ)

              (右城暮石句碑)
              (神社の池と浮舞台)
              (歴史文化館)

  309号線名柄の東の「わだきん」で昼食をいただいたあと、
国道24号線を南へ5キロほどの居伝町を左折、工業団地を抜けて、
阿田峰へ行きました。

  阿田峰は、梨園のほか、戦時中は海軍の大和第二飛行場があった所で、
今は、草原やクヌギなどの雑木林となって、滑走路の跡は道路です。
飛行場跡の北に阿田峰神社があり、小さな社と右手に以前なかった
集会所のような建物がありました。

  境内には大きな岩の万葉歌碑(2096)

     真葛原靡く秋風吹くごとに阿太(あだ)の大野の萩が花散る

があり、歌のように涼しい山風に萩の花が揺れ続いています。
まだ萩は散っていませんが。
神社の西側はワルナスビ(外来種)の白い花が群生しています。
近くのクヌギの木には兜虫の雌や黄金虫、草原には馬追などが
いました。

       飛行場跡の萩原揺れやまず     常朝

              (阿田峰神社)

               (万葉歌碑:真葛原靡く秋風吹くごとに・・・・)
              (ワルナスビの原)
              (兜虫の雌)

  その後、神社の東約1.3キロにある大淀町の梨園の直売店・明生園を
訪ねて、梨を買いました。
まだ二十世紀梨は早いですが、幸水や豊水はお店にありました。

  梨園の主は私の子供の頃、夏休みで母の実家へ帰った時など、
よく訪ねた親戚の梨農家です。
またその跡継ぎのご長男が裏の梨小屋で忙しそうにしていました。
また梨園の一部を囲む青い網は猿よけだそうです。

  昔母から聞いた、前の戦争中、飛行兵の山中行軍訓練で梨山の家を
訪ねた一人が、叔母を気に入って、その後実家の上を飛行機で旋回
した話などを、あらためて聞きました。
この話は以前テレビで放映されたとのことですが、話がテレビ用に
脚色されたので、叔母は大変嫌がったそうです。

  飛行兵は翼の付け根のすき間から、マフラーを振ったそうです。
夏でも上空は寒いので飛行兵はいつもマフラーをつけたそうです。
当時の練習機は木製で、プロペラを起動するための車があり、
それに乗せてもらって飛行場へいったとのこと。
梨山の近くの家が20人位の飛行兵の宿舎となり、炊事兵が毎日、
山から西の谷へ降り、水を汲んで上がったとのことです。

       猿よけの網青青と梨の園      常朝

              (梨園直売店:左3人はマネキン)

  その後橿原観光ホテルで小句会後解散しました。
ホテルに着いてから降りだした雨が小止みになるまで、
しばらくロビーで待ちました。
夕方から白露らしい気温になったようです。

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