2013年11月16日土曜日

183.東吉野・龍泉寺、きのこの館から石鼎庵

「アカシア紀行・俳句」2013年11年15日(金)     前へ   次へ

  11月の坂本龍馬の命日(かつ誕生日)、妻のお龍の涙雨かと
思われる雨の金曜日、いつものメンバー7人で、奈良県・東吉野村の
明治維新の先がけ・天誅組の墓などを訪ねました。

 桜井市阿部の天平庵で集合、女寄峠、内原、拾生から車を進め、
まず東吉野村・鷲家口の龍泉寺を訪ねました。

 龍泉寺は国道166号線のJAの東にある曹洞宗のお寺で、
インターネットによると1558年開創、瑞応山、というそうです。
天誅組の菩提寺でもあり、参道には藤本鉄石の歌碑もあります。

 坂道を登ると狭い駐車場があり、石段を登るとすぐ野見観音堂と
本堂(左)があります。右手には見事な紅葉が雨に濡れていました。
境内には樹齢1500年のもあるという岩松(岩ひば)の鉢が沢山置かれて
います。

 本堂の前には象の彫刻のある大きな玉石の香盤、裏には唐箕や馬鍬が
置かれ、山茶花、萩が咲いていました。軒に釣られた釣瓶には山柿が
挿されています。

 参拝後、傘をさして境内を散策していると、お寺の大黒さま(奥様)が
出てこられて、我々を本堂に案内していただいたうえ、
お茶や和菓子(水羊羹)までいただきました。

 大黒さまによると、俳句の人びとも時々訪れるようで、堂内の壁に
俳句の色紙額が2、3掛けられています。
本堂に続く観音堂の御前立野見観音像も参拝しました。
1.5メートル以上ありそうな立派な木彫でした。
本尊の前に立たれるので御前立ちというそうです。
ご本尊の聖観音は後の厨子に祀ってあるので見えません。
ここの観音様は首から上の病気にご加護があるとのこと。

 樹齢1500年の岩松鉢(2つ)もお聞きし、吉野杉の割り箸と、
天皇が使われるのと同じ吉野杉の割り箸もいただきました。
きのこの館に予約電話までしていただいて、お寺を辞した頃は、
雨も小止みになっていました。

       雨粒のあちこち揺らす紅葉かな    常朝

       玉石の香盤濡らす冬の雨       常朝

             (龍泉寺野見観音堂:クリックで拡大:以後同じ)      
             (玉石の香盤)
             (樹齢1500年の岩松2鉢)
             (御前立観音像)

 今日のテーマの一つであるきのこ料理をいただくため、
国道を西へ戻り、鷲家口の旧道・伊勢街道にある、天誅組のお墓の前の
「きのこの館」を訪ねました。店内には大きな木机があり、
真ん中の四角い大火鉢に金網が置かれています。
カウンターにワークキャップの女将がひとり料理を整えてくれました。

 まず、しめじ、しいたけ、エリンギなどを金網で焼いて、
それぞれが生姜醤油でいただきいたあと、きのこ飯定食を頂きました。
なめこ汁にはひらたけ、しいたけも入っていました。
きのこ飯と大根餅も美味でした。
お店の右手に3つあるしめじ栽培室も見せていただき、
それぞれきのこを買いました。
 
 その後、金網の猪垣を開けて、道路の川向うの湯之谷墓所に入り、
天誅組の藤本鉄石、松本奎三、森下幾馬などのお墓を参拝しました。
川にはきれいな水が流れ、梅もどきが赤い実をつけ、杉の根元には
野菊が咲いていました。

       さまざまな寒茸焼きて迷い箸   常朝

       天誅組終焉の地のなめこ汁    常朝

       天誅組墓地へ猪垣開けてゆく   常朝

            (きのこの館)        
             (しめじ栽培室)
             (天誅組志士の墓)

 鷲家口から、西南へ約3キロの東吉野村小川地区に入り、
村役場東側の南都銀行近くにある、龍泉寺の大黒さまに教えてもらった
和菓子店「西善」で和菓子を買ったあと、さらに南3キロの「小(おむら)」
地区の原石鼎庵旧居跡を訪ねました。

 石鼎庵(旧居跡)に着いた頃は、雨は完全に上がり、日差さえ差して
暖かくなっていました。
石鼎庵は、小地区の道路の北側の少し坂道を登った台地に移設されています。
坂には綿虫がふわりと飛んでいました。

 右手には薬師堂、左手は廃校となった小学校があり、
薬師堂との間の高台には、宇多喜代子の句碑(2011年5月14日建立)

     生国はここかもしれず蓬摘む  喜代子

 があります。
 
 石鼎庵には誰もおられず、勝手に戸を開けて入りました。
以前に訪れたので、座敷には上がらず、周囲を散策しました。

薬師堂の扉ははずされ、畳は上げられていました。
左手の庚申堂には石地蔵が立ち「身代わり猿」が沢山かかっています。

 廃校となった小学校の庭半分はゲートボール場となっています。
校舎の左部分はリハビリセンター、右は民俗資料館となっていますが、
誰もいません。右手に大きい奉安殿のような建物があり、
東側に天照寺の屋根が見えます。時々鵙のような鳥声が聞こえました。


       薬師堂扉はあらず冬の鵙     常朝

       飛び飽きてまた向き変ふや雪婆  常朝

     (石鼎の 淋しさに又銅鑼打つや鹿火屋守 の亜流ですが)

            (石鼎庵)        
             (薬師堂)
             (宇多喜代子句碑)

 前回同様、桜井市阿部交差点近くの天平庵で小句会を楽しんで
5時半頃解散しました。
午前中は涙雨でしたが、午後は日差さえ出て小春日となった秋の1日でした。

0 件のコメント :