2016年3月7日月曜日

232. 河内長野・観心寺

「アカシア紀行・俳句」2016年3月6日(日)    前へ    次へ

  急に暖かくなった啓蟄の頃、 いつものメンバー6人で大阪・河内長野の観心寺を訪ねました。

 観心寺は飛鳥時代、役小角によって開かれ、平安時代弘法大師によって中興され、
南北朝の頃、後醍醐天皇の勅によって楠木正成が金堂を建立した、山岳寺院です。
正成公幼少の頃の学問所とされており、湊川で討たれた正成公の首塚もあります。

 外環状線(170号)の新家交差点から東側の旧170号線に入り、南下して河内長野駅東の
310号線を南へ約3キロ、9時半頃観心寺駐車場に着きました。

 入山料300円を納めて境内に入ると、日曜日でもあり、
すでに数組の家族や夫婦らしい人々が参拝にこられ境内の梅林などを散策していました。

 参道の左手に合計300本とされる3段の梅林があり、それぞれがほぼ満開でした。
右手の池の中の島には、後村上天皇旧跡と書かれた大きな石碑があります。
(後村上天皇(在位1339-1368)は後醍醐天皇の皇子・義良(のりよし)親王)

  一番下の梅林には石の机と長椅子があり、ここで梅見酒でも飲めば楽しそうです。
やさしい風にちらほらと梅の花が石椅子にも散り、また風で地面へ散っています。
しばらく満開の梅を楽しんだあと、右手のゆるい坂を登って、首塚や開山堂、7つある星塚、
(三重の塔を建てられなかった)建掛塔などを拝見しました。

 途中、天皇旧跡の池のそばに若い僧がカメラを持ってこられたので聞くと、
記録のために寺の梅などを撮っているとのこと。 
島の2本の紅梅に見えたのは河津桜と教えてくれました。


       河津桜梅と競えり観心寺       常朝

       南朝の御陵ある寺梅白し       常朝

        (観心寺)
         (後村上天皇旧跡碑)
        (観心寺梅林)
        (開山堂)
        (正成公首塚)
        (後村上天皇陵・檜尾稜参道)
        (星塚-破軍星)
        (星塚説明板)
        (建掛塔)

 本堂(金堂)に入って 観音の厨子やびんづる像を参拝後、一番上の梅林を訪ねました。
そこにはいくつかの石のインド仏像があり、仏像の足元には梅が散っていました。
身体をくねらせている像や右手に数珠を差し上げている像もあります。

 さらに境内の北西の端には恩賜講堂があり、エンタシスの柱とともに古びたままで、中に
正成公らしい像が置かれていました。裏には軽自動車の廃車が草に囲まれていました。
すこしだけ霊宝館を覗いてから、境内のほぼ中央に戻り、鬼子母神堂(訶梨帝母天堂)の上の
侘助の大樹を見ました。 足の踏み場もないほど花が散っていました。
また若い女性が一人早足で星塚を回っていました。

       星塚の柵の赤きに落椿         常朝

       梅林に印度仏像首かしぐ        常朝

        (観心寺金堂)       
         (訶梨帝母天堂と侘助)
        (梅林のインド仏像)
        (恩賜講堂)
        (霊宝館)

 2番めの梅林も少し見てから、観心寺を辞しました。
河内長野駅近くで駐車しやすいレストランなどがなかったので、少し北の錦織公園を訪ねました。

 梅林入口までいきましたが坂を登るのがきついメンバーもいたので、子供達のどんぐり拾いなどを
見てから、外環状線(170)・南旭ヶ丘のガストで昼食後句会を楽しんだあと、交差点北側の
CAFERESTでコーヒーをいただき、4時半頃解散しました。

 外環状線は中央分離帯があるので東側に多いレストランに行くには、立体交差点を
下からくぐる必要があり、移動には少々疲れましたが、
啓蟄の頃にしては、4月上旬のような暖かい日差のなか、広大な寺院と梅林を楽しんだ一日でした。

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