2008年7月15日火曜日

65.華岡青洲の家・粉河寺から根来寺

「アカシア紀行・俳句」2008年6月30日(月)


 6月最後の曇りの日、妻、義兄姉らと和歌山・紀ノ川市西野山の
華岡青洲の家、粉河寺から岩出市の根来寺を訪ねました。
華岡青洲は江戸時代世界で始めて麻酔薬を実用化した高名な医者ですが、
その家は24号線高野口の南、小島交差点の北約700メートルほどにあります。
今はフラワーヒル(華岡の直訳?)公園として記念館(ミュージアム)もあり、
その近くに家も大部分が復元されて春林軒の名で保存されています。
麻酔の薬草の四種の一つ「曼陀羅華(まんだらげ)」も育てられています。
公園内の直売店では、地元の野菜のほか「すもも」も売っていました。
近くにある青洲のお墓もお参りしました。

 ミュ-ジアム内のバイキングレストランで昼食をいただいた後、
粉河寺を訪ねました。
粉河寺は奈良時代の猟師大伴孔子古(おおとものくじこ)が童行者の彫った
千手観音像を安置して創建し、鎌倉時代の盛時は寺領4万石だったとのことです。
境内に入ると立派な蓮葉型の御手洗の堂があり、杓に水を汲むとすぐに
蚊が寄ってきました。
立派な本堂への崖地を石庭として、大きな蘇鉄(そてつ)が植えられています。
庭師に聞くと、祭礼(お練り)まで4日しかなく一人なので忙しい。
蘇鉄も剪定しすぎると新葉が出なくなるので、芽がでても剪定しない株もある
とのこと。

 大門を撮影して、さらに南の根来寺を訪ねました。
根来寺は平安時代高野山の高僧覚鑁(かくばん)が建て、のちに高野山の大伝法
院を移し、室町時代には寺領70万石、僧兵1万余の大寺となり、根来寺僧が種子
島から持ち帰った鉄砲伝来後は強力な鉄砲軍団となり、のちに雑賀衆とともに
秀吉の軍勢に焼き討ちされたとのことです。
そのとき残った太子堂や大塔には弾痕が残っています。
紀州徳川家の御殿の一部を移築した名草御殿や美しい庭も拝見しました。
その後24号線を北上し、栄山寺のレストラン「吉野川」で小句会のあと
解散しました。


         青洲の里に李の実の青し       常朝     
          
         御手洗の杓を持つなり蚊の寄り来   常朝

         弾痕は顔の高さよ青葉照る      常朝


        (華岡青洲の里ミュージアム)
        (曼陀羅華(まんだらげ))

        (粉河寺の石庭)

        (根来寺の庭)

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