2009年2月5日木曜日

81.近江観音正寺から安土城

「アカシア紀行・俳句」2009年1月30日(金)


 午後雨の予想の日、いつものメンバー7人で近江観音正寺など安土へ吟行しまし
た。天気に強い我々ですので、午後もしばらくは曇りでしたが夕方雨となりました。

 9時半奈良出発、京滋バイパスから名神竜王ICから8号線経由で11時すぎ
山の上の観音正寺に着きました。
最初、観音正寺の西側の正面からの駐車場を探しましたが、急な坂道なので、
五個荘南交差点から東側の林道を登りました。

 観音正寺は西国三十三ヶ所の寺で、琵琶湖東岸の繖山(きぬがさやま)の山頂
付近にあり、聖徳太子がこの地で出会った人魚の願いで建立されたとのことです。
本堂や本尊が平成5年の火事で全焼したので、平成16年再建され、
本尊の観音像もインドからの白檀で新造されたとのこと。

 駐車場から10分位の山道をゆっくり登ると、道端には石仏が
いくつも置かれ、残り雪があちこちにありました。
土手には冬苺もあり、寒椿が咲いていました。
見下ろす下界は広い近江平野で、青い麦田を白い新幹線が走っていました。

 頂上付近の寺に入ると、広い境内に一対の大きな仁王さまが立っておられ
大仏や献茶用の茶園もあります。
山手(右側)には善男子、善女子と書いたトイレと供養堂や護摩殿、太子殿が
あり、本堂の正門階段の前は屋根から落ちた雪(垂雪:しずりゆき)が高く
積もっていて入れないので、右横の縁から本堂にはいりました。
大きな千手観音坐像を拝んでから本堂横の石積みや観音池を散策しました。
枯れ蓮の観音池には大きさ15センチ位の蝌蚪(かと:おたまじゃくし)
の卵のかたまりがありました。

帰りには供養堂のお坊さんからお下がりのりんごやお菓子をいただきました。

山を下りて、8号線から安土に戻り、安土町役所北の仙五郎店で昼食後、
雨模様のなか安土城跡へ行きました。
織田信長が建てて3年しか住めなかったこの城は、低い安土山頂上にあった
のですが今は約400段の石段や石垣だけが残っています。
大手道に入るとすぐ左が秀吉屋敷跡、右が前田利家屋敷跡、その上が家康
屋敷跡(今は總見寺仮本堂)があります。

大手道・石段の脇の石(耳石)の中にはいくつもの石仏が組み込まれてあり、
時々降る雨に濡れていました。
我々は天守台跡へはいかず、左の總見寺の3重の塔や山門を見て駐車場へ降り
ました。

 その後、東南500メートルほどのところの「安土文芸の郷」の「信長の館」に
行き、再現された安土城天守閣を見ました。
この天守は、1992年のスペイン・セビリア万国博覧会に出展されたものを移築
したそうで、建物の中に天守の5、6階分が実物大で再現されています。
天守は10万枚の金箔が使われているようで、柱も梁も輝いており、竜や釈迦、
天人などの襖絵も、とにかくきらびやかです。
最上の6階へは横の階段で登ると、8畳位の金襴の部屋の真中に美しい2畳の畳
が置かれていました。ここで、信長が客人などを接待したのでしょう。
4時頃信長の館を出て帰りましたが夕方は本格的な雨となりました。


         山頂は近江の札所残り雪    常朝 
    
         麦芽吹く近江突っ切り新幹線  常朝

         耳石にされし石仏冬の雨    常朝
  
        (観音正寺から近江平野・写真はすべてクリックで拡大)

        (石組みと蝌蚪のいた観音池)

        (安土城大手道)

        (信長の館)

        (安土城天守5階)

        (安土城天守6階)

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