2012年7月7日土曜日

153. 以仁王墓、信西塚から金胎寺


「アカシア紀行・俳句」2012年7月6日(金)

  7月半夏生の雨模様の金曜日、いつものメンバー6人で、京都府綴喜郡・
井手町の以仁王墓、宇治田原の信西塚から金胎寺を訪ねました。

  以仁王は後白河法皇の第二皇子ですが、平家から冷遇され、源頼政と
図って平家追討の令旨を全国の源氏に送り挙兵したが、平家の追討軍に
この地にあった光明寺鳥居前で討たれたとされています。

  お墓は奈良方面からは24号線を北上、玉水橋南500メートルの綺田
(かばた)地区の渡り戸の信号を右折、700メートルほどの高倉神社に
あります。

  10時前着いた高倉神社は以仁王を祀る神社で、正面に巾10間程の拝殿、
境内右手(東)に、宮内庁管理の以仁王墓、左手に白い神馬像があります。
境内左端には色とりどりの紫陽花が咲いていました。
右手には神社の池、児童公園と北綺田公民館です。
その後、近くの田の中の筒井浄妙の陪塚を探しましたが、
雨が強くなったのであきらめました。

               白馬像洗ふ五月雨王の墓     常朝

               以仁王墓に供ふや七変化    常朝

               (高倉神社:クリックで拡大:以下同じ)
               (以仁王墓)
               (白馬像)

  24号線に戻り、3キロほど北上して山城大橋交差点を右折、307号線で
宇治田原の信西塚と大道神社を訪ねました。


  信西入道は、今年2012年NHK大河ドラマ「平清盛」で出てくる
藤原通憲・信西で、歴史書を書いたりした学者で、後白河天皇の信任あつく、
平家と手を結んで政務に尽くしましたが、源氏側の反乱(平治の乱)で、
追われ、領地の宇治田原・大道寺に逃げましたが、自害しました。

  大道(おおみち)神社は菅原道真、事代主命などを祀る鎮守で、
左手(西)の林道脇の池は「信西の首洗い池」と呼ばれています。

  信西塚にお参りし、そばの小川の合歓の花、丸木橋、ホタルブクロなどを
見ていたら、新聞記者を案内して、宇治田原案内人の会の方が、
車でこられて、我々にも説明してくれました。
  ここは信西の胴だけが埋葬されたようです。
草に埋もれていた塚を、村の人々が大事にお墓を守ってきたとのことです。
そばの大道寺(無住)のお堂の軒で、信西が首を取られる場面などの、
平治物語絵巻の一部写真を見せてもらいました。
またこの山麓道は、本能寺の変(1582)の折、家康一行が逃げ帰った
「伊賀越えの道」だそうです。
(宇治田原町の信楽街道資料によると、郷の口-贄田-大道-黒豆坂-石詰-信楽)

  長い石段の上の大道神社には、木製の狛犬が鉄の檻で守られています。
青葉に囲まれた首洗い池には、モリアオガエルの白い卵塊の泡が、
花のように枝にぶら下がって、泡の中におたまじゃくしが動いていました。
暗い池の中にはイモリが泳いでいました。

               信西塚青葉光らす雨となり     常朝

               首洗い池に蠑螈の腹の赤     常朝

               (信西塚)
               (信西塚説明板)
               (大道寺)
               (大道寺説明板)
               (大道神社鳥居)
               (首洗い池のモリアオガエルの卵)


  その後307号線に戻り、宇治田原JAの東の「魚よし」で昼食をいただいたあと、
宇治田原茶園でお茶を買い、府道62号線から、鷲峰山「金胎寺」を訪ねました。
茶園での買い物で長く待たされたので、山頂のお寺に着いたのは2時半頃でした。

  金胎寺は天武天皇の頃、675年役の行者の創建とされ、奈良時代平城京の
鬼門を守る勅願寺となり、のちに後醍醐天皇が一時寄られたので、焼き討ちにあい、
再建されたが1518年再び焼失、現在は京都金剛王院一言寺に管理される、
真言宗醍醐派の寺とのことです。

  郷の口南から62号線を東へ6キロほどから狭く急な山道を3キロほど登り
金胎寺の案内板の場所に駐車し、100メートル以上坂を上ると山門です。
本堂や多宝塔は急坂の上のあります。
住職らしき方が一人庫裏におられたので、土器(かわらけ)を数枚ずつ買って
左手修験道入口のかわらけ投げ場から、霧の中の的の輪をめがけて投げました。
修験道の行場めぐりは山道を3キロほど歩くので、2時間半はかかるとのこと。

               行者道入口からは夏の霧      常朝

               夏霧にかはらけ投げて帰りけり  常朝

               (金胎寺入口)
               (金胎寺庫裏)
               (かはらけ投げの的の輪)
               (金胎寺の建物写真)

  坂上の本堂などは、雨模様なのでお参りせずに、62号線の途中八王子神社に
立ち寄って和束・加茂経由で奈良に戻りcocosで小句会後解散しました。
一日中雨模様でしたが、うっそうとした南山城の山とお寺は涼しく快適でした。

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