2013年1月19日土曜日

165.葛城博物館の菩薩面展から白毫寺初閻魔


「アカシア紀行・俳句」2013年1月16日(水)                 前へ  次へ
                            
  小正月明けの冬晴れの日、いつものメンバー7人で
奈良県・葛城市の歴史博物館から白毫寺を訪ねました。

 葛城市の歴史博物館車は近鉄・忍海駅の北約300メートル、
国道24号線の西100メートルほどにあります。
奈良からの高架道から見える葛城、金剛、高円山は薄雪はかかっていました。

 ここでは、先月から1月20日まで、
当麻曼荼羅(まんだら)完成1250年記念「当麻寺菩薩面と古代の匠の
プロフィール」と名付けて、当麻寺の二十五菩薩練供養で
過去に使われた菩薩面28面などが展示されています。


 平日の朝なので、我々が着いた10時前は、博物館は殆ど無人でしたが、
11時頃には見学者が数組入館してきました。

 中央常設展示室には埴輪や山城の模型が展示され、
右側の特別展示室に、鎌倉時代からの菩薩面や、当麻曼荼羅の複製が
展示されていました。

 菩薩面はすべて金箔が張られた立派なものです。
殆どの面の頬の部分などは金箔がとれて漆の地が出ていますが、
黒光りがかえって重みを与えていました。

        菩薩面うるし地光る淑気かな   常朝

              (葛城市歴史博物館:クリックで拡大:以後同じ)
               (展覧会ポスター:Internet Museumより)

              (埴輪)


 そのあと常設展も見学して11時頃退館しました。
常設展では埴輪のほか、昭和の民家の部屋、二上山のサヌカイトなど
岩石標本や、山城の模型がありました。

 奈良へ戻り、国立博物館北側の夢広場東の三山で昼食を
いただいた後、奈良市高円山の白毫寺に「閻魔もうで」をしました。

「閻魔もうで」は年二回、1月と7月の16日ですが、この日は
地獄の釜の蓋があいて、罪人も鬼たちものんびり過ごす日
だそうです。

 白毫寺の初閻魔は入山料なしで、おまけに焚き火に当たり
ながらふるまいの甘酒をいただいていると、
1時半ごろ、宮崎ご住職が閻魔大王が安置されている宝蔵に入られ、
初閻魔の午後の祈祷が始まりました。

 我々も含め20人位の人が宝蔵内に座り、般若心経などを
唱えたあと、ご祈祷を頼んだ人の住所、名と祈祷の言葉を
読み上げられました。

 その後のお話では、閻魔大王の妹は弁財天でそのお使いが
白蛇で、宝蔵の鍵を預かっているそうです。
その関連で宝蔵に閻魔大王、司命(左)、司録(右)などが
安置されているのでしょうか。(右側は地蔵菩薩と阿弥陀如来像)

 閻魔大王はお身内を大事にされたので、お祀りする時は
常に10人ほどのお身内を一緒にお祀りするそうです。

 そのためか、祈祷後祭壇を拝見すると、
11枚の小皿のそれぞれにお米と小豆が供えてありました。
他にバナナ、蜜柑、さつま芋、白菜なども供えています。

 宝蔵入り口の壁には地獄図が掛かっていました。
宝蔵を出ると、高齢の男の人(村松さん?)がテント内で
紙芝居を始めていました。

 木蓮尊者が地獄の母を救うという地獄めぐりの話ですが、
宝蔵を拝見していたので最後の方しか聞けませんでした。
その後判じ絵を見せて絵から元の言葉を当てる江戸時代の
クイズを楽しませてくれました。

 例えば蜘蛛の巣の前に錐(キリ)が2つある絵を見せられて、
答えは「キリギリス」などと他愛も無いのですが、
結構引き込まれてしまいました。

 紙芝居説法が終わった後、境内を散策し、
正月飾りを燃やす「飾り焚き」の焚き火を見たり、寒桜や
つぼみの五色椿を見たあと、お寺を辞しました。
石段下の駐車場の奥様によると、ご住職がご高齢のためか、
今年から夏の閻魔もうではやらないそうです。
ご住職手書きの閻魔大王のうちわは夏にお参りすれば500円で
わけていただけるとのこと。

        初閻魔もちもの失せし司録像   常朝

        紙芝居は地獄の話初閻魔     常朝

              (白毫寺山門:クリックで拡大:以後同じ)
               (えんまもうで案内)
              (宝蔵へ入られるご住職)
              (地獄図)
              (地獄図の一部)
              (紙芝居)

夢広場の天平庵で小句会後5時頃解散しました。
天気に恵まれて清冷な大和路の初吟行を楽しむことができました。

2012年12月8日土曜日

164.堅田漁港から彦根・赤かぶ干場

「アカシア紀行・俳句」2012年12月5日(水)         前へ  次へ

  初冬のやや寒い好天の日、いつものメンバー5人で
滋賀県・堅田漁港から彦根の赤かぶ干し場を訪ねました。

  車では名神・栗東ICから琵琶湖大橋が時間的に最良でしたが、
今回は車で京滋バイパス石山から琵琶湖西岸を北上し、
浮御堂の北の堅田漁港に着いたのは10時半頃でした。

  漁港は一般車が入れないよう入り口に鎖が掛けられていましたが、
氷魚(子鮎)などを買うつもりもあったので、鎖を下げて漁港内に
駐車させてもらいました。
リモコンで入口の鎖が下がる仕組みです。

  漁港に入ると数十艘の漁船が船溜りに停泊しており、
空には鳶が舞い、海には百合鴎が浮き、船には鷺がとまっています。
姿は見えませんが鳰のピュルピュルという鳴き声がきこえます。

  浜では2人の男性が焚き火をしていたので、我々も当たらせてもらい、
話を聞きました。
今年は鮎の漁が少なく、放流用の稚魚を出すのが精一杯で、
釜揚げなどの食料用には殆ど回せないとのことでした。

  岸の漁船から夫婦が漁の「はす」の箱などを陸揚げしており、
なかの茶色の小魚は何ですかと聞くと、「ごり」と答えただけで、
無言で仕事を続けていました。

  しばらくかもめなどを眺めた後、漁港内の田村淡水
(琵琶湖の佃煮専門店)を訪ねました。
ご主人が留守だったので、値段のわかるものだけでしたが、
稚鮎、すご諸子の釜揚げや鮒ずしを分けてもらいました。

        近江富士望む漁港に焚火せり   常朝

        船溜り姿見えずに鳰の声     常朝

              (堅田漁港から近江富士:クリックで拡大:以後同じ)
              (田村淡水)
              (子鮎とすごもろこ)

  その後、琵琶湖大橋から栗東IC経由で、名神・彦根ICの西の
彦根ビューホテルのレストラン・ビスタで昼食をいただき、
すぐ南の松原水泳場北側にある赤かぶ干場を訪ねました。
彦根城の北1キロほどの湖岸です。

  今は東海漬物さんが利用されていますが、浜に出ると、
長さ約50メートル、高さ5メートルほどの大きな干し台(稲架)に
長い竹を水平に9段取り付けた蕪(かぶ)干し場がありました。
今日はその中の中央の干し台(長さ15メートルほど)に、
赤蕪を4~6個ずつ束にしてぎっしりと吊ってありました。

  先日電話でお聞きしたら3日午前に赤蕪を集荷し午後に浜に
干すとのことだったので、まだ3日目でしょうが、蕪の葉は風に
乾いて縮れて揺れていました。

  岸近い湖上には、ひどり鴨の群が冬の荒い波に揺られています。
岸の砂にはクルミの実が数十個打ち上げられていました。

        湖畔の宿聖樹を誰も見てをらず  常朝

        湖と思へぬ荒さ冬の波      常朝

        干し蕪に触るれば少しへこみけり 常朝

              (彦根ビューホテルから彦根城)
               (松原水泳場・ひどり鴨と彦根ビューホテル(左端))
              (赤蕪干し場)
              (赤蕪)

  だんだんと寒くなってきたので、3時頃浜を出て、帰途につきましたが、
名神・彦根ICまでの車の中から、大きな日暈の虹が太陽の左右に
見えました。

  奈良・旧ドリームランド前のココスで小句会後解散しました。
少し寒かったですが風は強すぎず、お天気に恵まれて、
初冬の近江を楽しむことができました。

2012年11月23日金曜日

163.奈良・太子道の糸井神社から面塚、多神社など

「アカシア紀行・俳句」2012年11月21日(水)         前へ  次へ

  深まる秋の良い天気の日、いつものメンバー7人で
奈良の太子道の中ほどの神社などを訪ねました。
太子道は聖徳太子が斑鳩から飛鳥へ愛馬でよく往来されたという、
いわば太子の通勤ルートで、去年11月は斑鳩から途中の白山神社までを
吟行しましたが、今回はルートから少し外れて奈良・川西町の
糸井神社から太子道の中ほど、面塚、多神社などを車で巡りました。

  9時半頃、郡山市のファミリー公園(県浄化センター)駐車場で集合し、
まず南2キロほどの結崎(ゆうざき)地区・川西町役場の南の糸井神社を
訪ねました。

  糸井神社は、平安時代の神社一覧(延喜式)にもある古い神社で、
豊鍬入姫命、猿田彦命、綾羽明神、呉羽明神を祀りますが、
昔は糸に関係のある綾羽明神、呉羽明神が主神だったようです。

  駐車させてもらった境内におられた神主の母上に、
参拝・拝見したいと話すと、神主を呼んで下さり、我々を拝殿に
案内、説明をいただきました。

 拝殿の中の祭壇には、お酒、米、初穂、さつまいも、りんご、柿などが、
三宝にのせてあります。

  長押(なげし)の上には、大きな奉額がいくつも掛けられ、
その中には、天保13年の「太鼓踊り」の絵馬や、慶応4年の「おかげ踊り」
、奉納相撲の絵馬などがあります。
太鼓踊りは雨乞いのお礼の踊りで「なもで踊り」ともいわれます。
特に「太鼓踊り」の絵馬には、大太鼓2つに4、50人の踊りの脇で、
西瓜や餅の切り売りも描かれています。

  蚕から生糸を作る技術者が渡来してこの結崎の地に住みつき、
先祖や糸の神を祀るために神社が建てられ結崎明神とも
いわれたそうです。

 拝殿と本殿の間の通路の2階に小さな白壁の蔵があるのは、
珍しい神社構造で、蔵に神社の品々を保管しているそうです。

        太鼓踊り絵馬の褪せたる冬の杜  常朝

        三宝に初穂を供ふ糸の神     常朝

              (糸井神社:クリックで拡大:以後同じ)
               (糸井神社)
              (太鼓踊り絵馬)
              (結崎観世能の写真)

  そのあと、境内に駐車させていただき、
すぐそばの寺川の南岸・東100メートルほどの面塚を訪ねました。
大きくカーブする川岸には、桜並木の紅葉が見え、
橋のそばには蚕の餌に使われる桑の木が美しく黄葉しています。

  面塚は、昔、空からお能の面と根深ねぎが降ってきたと
伝えられる場所を記念するため、昭和の始め記念碑と、27年石垣、
記念公園が作られたとのことです。

  結崎は能楽発祥の地とされ、ここには時々東京から観世流の家元など
が来られるそうです。
石垣の中には桜、楓などが植えられ、公園には、能舞台を模した建物があり
周囲はどうだんつつじ、ぶななどが植えられ、きれいに紅葉していました。

        大川の曲りおおらか桑黄葉     常朝

        面塚の紅葉散りたる能舞台     常朝

              (寺川)
                (面塚石垣)
              (面塚)
              (面塚説明板)

  その後、糸井神社で聞いた結崎根深ねぎを見たいと、川西町役場を訪ね、
係りの方に、生産農家の畑の場所をお聞きして、1キロほど北の
吐田地区の葱畑を訪ねました。
  耕作の農家は離れていたので結崎駅東のスーパー「おくやま」に行き、
一束だけ残っていた結崎根深を求めました。
店員さんによると日に10束くらいしか入荷しないそうです。
葱やりんごを買ったあと、24号線の千代南の近くの「がんこ橿原店」で
昼食をいただき、その西の多神社を訪ねました。

        畑で見て店で買ひたる根深葱    常朝

              (結崎根深のねぎ畑)



  多神社は、古事記で有名な太安万侶の出身地である多集落の産土神です。
田原本町宮森地区、近鉄笠縫駅の西800メートルほどの飛鳥川の東岸にあり、
神武天皇、神八井耳命(かむやいみみのみこと)、
神淳名川命(かむぬまかわのみこと、神武天皇の第三子で後の緩靖天皇)、
姫御神(神武天皇の母)を東西に並ぶ4棟の本殿にそれぞれ祀っています。
八井耳命は多一族の先祖とのことです。
境内には川田順の安万呂を称える歌碑がありました。

  うっそうとした森の西側には榠樝(カリン)の木や女貞(ねずみもち)
の木が実をつけ、ヒヨドリが騒いでいました。
深々とした落葉の杜の中に、昔神事をしたという「ひもろぎ」の円丘が
あります。
車椅子の人が介護の人と散歩していました。

        榠樝の実見上げてをれば鳥の声   常朝

        神の庭桜紅葉の日差かな      常朝

              (多神社)
               (まろちゃん)
              (ひもろぎ説明板)
              (ひもろぎの円丘)
              (川田順の歌碑)
多神社から再び24号線を北上して、鏡作伊多神社を訪ねました。
保津環濠集落の池のそばにある小さな神社で、
祭神・石凝姥命(いしこりどめのみこと)は鏡作連(かがみづくりのむらじ)
の祖神とされており、鏡の鋳造を業とした鏡作部の氏神とのことです。
鏡に関するものなどが祀られているかと思いましたが、
特にそれらしい物は見当たりませんでした。

 境内の隅に実生の銀杏が沢山出てどれも黄葉してをり、
銀杏の実が沢山落ちていたので少し拾いました。

        神の庭隅に実生の銀杏黄葉     常朝

             (鏡作伊多神社)
              (鏡作伊多神社の説明板)
              (鏡作伊多神社の拝殿)
              (鏡作伊多神社の境内)

  その後時間があったので、太子とは特に関係がないのですが、
唐古遺跡を訪ねました。
唐古遺跡は田原本町唐古、鍵地区にある弥生時代の環濠集落遺跡で
発掘された土器の絵から1994年復元された高さ13メートルの2階の
楼閣が黒々と古びた色になって唐古池の西南隅に立っており、
深秋の夕日を浴びて、飛行機雲が伸びていました。

  鶺鴒(せきれい)が10羽ちかく池の水面を飛んだり岸を走っています。
土手には樹木のなかにアケビの蔓が伸びており、祠の石地蔵には
菊が供えられていました。

        冬日浴ぶ古代楼閣飛行雲      常朝

        遺跡池土手の祠に冬の菊      常朝

              (唐古遺跡の楼閣)
              (唐古遺跡説明板)
              (唐古池)
              (唐古池説明板)



  4時頃から橿原観光ホテルで小句会後5時半頃解散しました。
大和国中(くんなか)の良い天気に恵まれた秋の1日でした。

2012年11月11日日曜日

162.五条市金剛寺から簗場跡、かつらぎ町串柿の里

「アカシア紀行・俳句」2012年11月10日(土)          前へ  次へ

  立冬すぎた好天の日、いつものメンバー6人で
五条市金剛寺から和歌山県かつらぎ町の串柿の里を訪ねました。

  五条市栄山寺ちかくのレストラン「よしの川」で9:30集合し、
24号線を南下、大川橋を渡って左(東)600メートルほどの金剛寺を
参拝しました。

  ここは約800年前平清盛の長男で若くして世を去った重盛公が建てたと
される今は真言宗の寺で、本尊薬師如来を菊の花でお祀りする
菊薬師で有名です。

  菊の香りがする山門をくぐり、入山料300円を納めて萱葺きの本堂に
入ると、広い部屋の左側が枯山水の庭で、色とりどりの小菊の懸崖鉢が
沢山並べられ、右手には祭壇がありました。
10月25日から11月8日まで、本堂の薬師如来の右手から紐を祭壇近くまで
伸ばして僧侶が法要(悔過法要)をしたそうです。

  庭の菊を拝見していると、大黒さま(住職の奥様)のお母様が
こられて色々話をしてくれました。
平安時代このあたりは平家の所領で、熊野詣での折の宿泊所をかねて
寺を建てたようで、戦前まで寺領も6町歩あったが
農地開放で、学校に貸与していた2反ほどを残して土地はなくなったようです。
その2反を住職と協力して牡丹園にしたそうです。

  薬師如来をお参り後、菊薬師、菊枕、菊酒の由来となった中国の菊慈童
(菊の薬効で700年も生きた)の絵を描いた屏風や菊枕を拝見しました。
今は菊酒は安全のためお寺で作っていないとのこと。
またこの寺は唐招提寺の長老が住まれたそうです。

        菊薬師野菊も鉢に飾られて     常朝

        菊慈童の屏風も飾り菊の寺     常朝

        大黒の長き話を菊の寺       常朝

              (金剛寺)
              (金剛寺山門)
              (金剛寺説明板)
              (小菊の懸崖)
              (青い菊)
              (薬師如来)
               (菊慈童の屏風)
              (菊枕)
              (白檀の実)

  お寺を辞してから、吉野川(紀ノ川)の大川橋南詰から鮎の簗場跡を
訪ねました。
今は簗場は撤去されていますが、簗場用の木材や竹が置かれていました。
また橋桁の裏側にはイワツバメが沢山巣を作り、数十羽が橋の周囲を
せわしなく飛んでいました。

        岩燕簗場跡飛ぶ冬の川       常朝

        石原に黄菊咲きたる簗場跡     常朝

              (吉野川大川橋の簗場跡)
               (大川橋の岩燕の巣)

  その後、「よしの川」で昼食をいただき、和歌山県かつらぎ町の
串柿の里を訪ねました。
24号線を南下、穴伏交差点を右折、480号線を10キロほど北上して、
山上の四郷地区に入ると、急な坂のガードレールの上などに
長い干し台(屋根つき)が沢山あり、串柿が何万と吊られていました。
正月飾り用の10個(あるいは5個)の柿の串が水平に一つの吊り縄に縦に
10列ほどずつすだれのように並んで吊られています。
柿の皮は漬物に入れるとおいしいそうで、柿皮も吊り干しされています。

  上の家の前ではつるし柿、餅のようなあんぽ柿、金山寺味噌などを
売っています。
左手の作業場には柿皮剥きの機械などが置かれ、
柿に挿す串を木の箱や塗料缶などに沢山立てられていました。
そのうちご主人が作業場に坐り、直径5センチほどの剥いた柿を
串に挿し始めました。
奥様は紐縒り用の機械を使って柿の串をすだれ状にしていました。
ご主人は、退職金を皆奥様に取られて、
今は朝5時から夜11時頃まで串柿を作るだけと笑っていました。
串柿用の柿は四つ溝柿(よつみぞ)というそうです。

  2時すぎお土産に蜜柑をいただいて五条市に戻り、野原地区・
五条病院の南隣のコーヒーハウス「ミキ」で小句会後解散しました。
金剛寺で大黒さまが本尊のろうそくに火をつけるとき燭台の覆いの布の
左下から炎が上がってあわてて消す騒ぎがありましたが、
それ以外はトラブルもなく、さわやかな秋の1日でした。

        柿簾透かしてきたる山の風     常朝

        串柿の里柿皮も干しゐたる     常朝

              (串柿)
             (つるし柿売り場)
              (串柿の作業場)
              (柿の皮むき機)