「アカシア紀行・俳句」2015年3月19日(木) 前へ 次へ
彼岸の入りの2日目、朝から本格的な雨の日、いつものメンバー6人で、
奈良県御所市の高天彦(たかまひこ)神社から橋本院を訪ねました。
雨の中、葛城市の屋敷山公園駐車場で9時半集合し、山麓線(30号線)を
約8キロ南下、高天・橋本院の案内板のある角を右折、約1キロ登ると、
高天彦神社の駐車場です。(参照 アカシア紀行84)
高天彦神社は高皇産霊神(たかみむすびのかみ)、市杵島姫命(いちきしまひめ)、
菅原道真公を祀る、金剛山の麓の古式豊かな神社です。
遠くからでも本殿の赤い瓦が目に入ります。
駐車場の南側に「鶯宿梅」(おうしゅくばい)の3分咲き以上の白梅の花が
雨に打たれていました。
50メートル程の参道の両側には巨大な杉の木が並び、神社の周囲も
うっそうとした杉の老木で囲まれています。
幹から泡を流している巨木もあります。
参道を登ると左手に手水があり、山の春水が勢い良く出っぱなしに
なっていました。
境内の左手には拝殿兼の休憩所があり、木製の長椅子が置かれています。
我々は休憩所を基地として、傘をさして本殿を参拝、周囲を散策しました。
境内の外の細い道には石の福蛙が置かれ、碁石の目玉も雨に濡れていました。
鳥居に向かって左の山道は郵便道と言われる金剛山登山道ですが、
2013年9月の台風18号で崩落し、通行できないようです。
御手洗の春水はげし出っぱなし 常朝
福蛙の目は黒碁石春の雨 常朝
(高天彦神社:クリックで拡大:以後同じ)
(鶯宿梅)
(鶯宿梅説明板)
(蛙石)
(郵便道通行止め案内)
(売店)
その後御所駅の北の寿司店「夢宗庵」で昼食(柿の葉すし付の盛合せ)を
いただき、再び高天に戻って、橋本院を訪ねました。
高天彦神社から北東へ約600メートル狭い道を走ると、棚田のやや下の
ほうに見えるのが橋本院です。
橋本院は奈良時代行基によって建てられた高天寺の子院で、
南北朝時代、北朝方に焼き討ちされ、江戸時代真言宗の寺として再興され、
本尊の十一面観音像を祀っているようです。
黒い木造の山門を入ると右手に弘法大師像と護摩堂があります。
境内の北側(左手)は広い庭園で蝋梅がやや白っぽくなっていました。
周囲の山には雨のせいでしょうか春の霧がゆっくり登っていきます。
南側は庫裏があり、前庭には池に枝を伸ばす山茱萸(さんしゅゆ)が満開
でした。 縁側からは雛壇が見えます。
庭から南へ急峻な崖があり、コンクリートの護岸壁を見ていたら、
ご住職が出て来られて、右手の池に水芭蕉が咲く頃と教えてくれました。
桜の大木が崖上の右手の庭にあったのが、数年前台風で根こそぎ
飛ばされて、崖下の砂防ダムに落ちたので、切って埋めたそうです。
6月頃は、蓮やあじさいが見られるそうです。
縁側に雛壇見ゆる山の寺 常朝
寺山をゆっくり登る春の霧 常朝
(橋本院)
(弘法大師像と護摩堂)
(庫裏の盆梅)
(庭の蝋梅)
やや小止みになった雨の中、しばらく境内を散策後、お寺を出ました。
なだらかな棚田と藪が雨にぬれる様子は、日本的な美しい風景でした。
その後橿原観光ホテルで小句会後解散しました。
朝から句会終了の3時半頃まではずっと雨でしたが、葛城の穏やかな風景を
楽しんだ一日でした。
2015年3月22日日曜日
2015年3月13日金曜日
208.奈良・片岡梅林から二月堂・お水取り
「アカシア紀行・俳句」2015年3月11日(水) 前へ 次へ
3月啓蟄(けいちつ)の頃の晴天ながら寒い日、いつものメンバー5人で、
奈良市の片岡梅林から二月堂のお水取りを参拝しました。
(参照:アカシア紀行57:2008年二月堂お水取り)
片岡梅林は奈良・春日大社の一の鳥居の右側から入った公園、浅茅が原の
中にあります。
9時半すぎ梅林に入る前に、料亭菊水の西側にある菩提院の中の
石子詰め旧跡を訪ねました。
石子詰めは江戸時代13才の三作が、習字を習っていた時、邪魔した鹿に
文鎮を投げると急所に当たり死んだので、神の使いを殺した罪で、
地面に掘った深い穴に、鹿と一緒に生きながら埋められた跡で、
哀れんだ人々が五重の石塔を立て、石の亀を置いた墓地です。
石子詰墓地に石亀冴え返る 常朝
(三作石子詰め旧跡:クリックで拡大:以後同じ)
(浅茅が原案内図)
その後片岡梅林に移動しました。
片岡梅林は小高い丘にある広さ1ヘクタール位の梅林で、
梅の古木が数十本あり、全体としては7分咲きでした。
中には一本の木に紅梅の枝が白梅の中に混じる木もありました。
丘上の梅林の中に小流れがあり、それをまたぐ東屋もあります。
また、円窓亭という風流な建物もあります。
丘の南側は鷺池で浮御堂が見え、東側は飛火野が広がります。
梅を眺めていたら、ホルンの音が聞こえました。朝10時の鹿寄せでした。
飛火野を見ると人が大勢集まり、ぞこへ鹿たちが歩いて集まって来て
いました。
梅林の中の池には薄氷が張っており、北西の風に揺れていました。
小流れをまたぐ東屋梅白し 常朝
(紅梅の梅)
(円窓亭)
しばらく梅林を散策後、車で二月堂東の手向山神社の東側の菊一駐車場に
行きました。本来は客と観光バス用の駐車場ですが、店で商品を買って
駐めさせてもらいました。
途中手向山神社の神楽堂の壁画「頼光の鬼退治」を見て、
二月堂の下へ歩き、絵馬堂茶屋で昼食をいただき閼伽井屋(あかいや)に
いきました。
(手向山神社・神楽堂の頼光鬼退治図)
12日夜は、この中の井戸で、若狭から送られた水を汲み取り、観音様に
供えるのが、お水取りの名の由縁です。
夜二月堂で燃やされる大きな松明は、12日は特に大きな篭松明ですが、
すでに11本の篭松明の一部は、閼伽井屋のそばの食堂(じきどう)の庇に
立てかけてありました。
12日に備えて、11日午後閼伽井屋の周囲の榊を新しくする予定でしたが、
我々が着いた時はすでに新しくなっていました。
我々が着いた時はすでに、練行衆の11名の方達は食堂で食事中で
時々お経の声が聞こえました。
修二会の14日間は、食事は一日一回、ご飯一膳とお汁だけのとのこと。
12時50分頃、食堂の戸が開いて、練行衆が一人ひとり戸口に出て、
紙に包んだご飯(生飯(さば))を、閼伽井屋の屋根などに
投げました。 鳥や獣に食を分けるためです。
すでにこの事を知っているのでしょう、鹿やカラスが寄っていました、
その後登廊から二月堂に上り、堂内で行われている修二会の行を
拝見しました。といっても、行は暗い内陣の帳の中で行われているので、
外からは読経の声を聞き、僧の影が見えるだけです。
西側の正面から右手南側の局入り口から堂内に入って見学しましたが、
やはり内陣は暗くて見えず、変化のあるリズミカルな声明が
聞こえるだけでした。
真っ暗なので、練行衆はお経や掛け声をすべて覚えているのでしょう。
じっと聞いていると厳かな気分になりました。
修二会は、罪を懺悔し、天下泰安を祈る法要ですが、奈良時代に始まり、
今年で1264回目、一度も休まず毎年続けられています。
おそらく4年前の今日の東日本大震災のことも祈られているのでは
ないでしょうか。
その後、右手の龍美堂茶屋でわらび餅と抹茶をいただき、二月堂を
辞しました。
内陣の沓音高き修二会かな 常朝
お水取帳に走る僧の影 常朝
(絵馬堂茶屋)
(二月堂)
(閼伽井屋)
(篭松明)
(篭松明の篭)
(生飯を投げる練行衆)
(龍美堂茶屋)
その後手向山神社そばの駐車場に戻り、旧ドリームランドの前のココスで
小句会後解散しました。
寒いながらも好天に恵まれ、満開に近い梅と、厳粛な修二会の雰囲気を
味わえた早春の一日でした。
3月啓蟄(けいちつ)の頃の晴天ながら寒い日、いつものメンバー5人で、
奈良市の片岡梅林から二月堂のお水取りを参拝しました。
(参照:アカシア紀行57:2008年二月堂お水取り)
片岡梅林は奈良・春日大社の一の鳥居の右側から入った公園、浅茅が原の
中にあります。
9時半すぎ梅林に入る前に、料亭菊水の西側にある菩提院の中の
石子詰め旧跡を訪ねました。
石子詰めは江戸時代13才の三作が、習字を習っていた時、邪魔した鹿に
文鎮を投げると急所に当たり死んだので、神の使いを殺した罪で、
地面に掘った深い穴に、鹿と一緒に生きながら埋められた跡で、
哀れんだ人々が五重の石塔を立て、石の亀を置いた墓地です。
石子詰墓地に石亀冴え返る 常朝
(三作石子詰め旧跡:クリックで拡大:以後同じ)
(浅茅が原案内図)
その後片岡梅林に移動しました。
片岡梅林は小高い丘にある広さ1ヘクタール位の梅林で、
梅の古木が数十本あり、全体としては7分咲きでした。
中には一本の木に紅梅の枝が白梅の中に混じる木もありました。
丘上の梅林の中に小流れがあり、それをまたぐ東屋もあります。
また、円窓亭という風流な建物もあります。
丘の南側は鷺池で浮御堂が見え、東側は飛火野が広がります。
梅を眺めていたら、ホルンの音が聞こえました。朝10時の鹿寄せでした。
飛火野を見ると人が大勢集まり、ぞこへ鹿たちが歩いて集まって来て
いました。
梅林の中の池には薄氷が張っており、北西の風に揺れていました。
小流れをまたぐ東屋梅白し 常朝
(紅梅の梅)
(円窓亭)
しばらく梅林を散策後、車で二月堂東の手向山神社の東側の菊一駐車場に
行きました。本来は客と観光バス用の駐車場ですが、店で商品を買って
駐めさせてもらいました。
途中手向山神社の神楽堂の壁画「頼光の鬼退治」を見て、
二月堂の下へ歩き、絵馬堂茶屋で昼食をいただき閼伽井屋(あかいや)に
いきました。
(手向山神社・神楽堂の頼光鬼退治図)
12日夜は、この中の井戸で、若狭から送られた水を汲み取り、観音様に
供えるのが、お水取りの名の由縁です。
夜二月堂で燃やされる大きな松明は、12日は特に大きな篭松明ですが、
すでに11本の篭松明の一部は、閼伽井屋のそばの食堂(じきどう)の庇に
立てかけてありました。
12日に備えて、11日午後閼伽井屋の周囲の榊を新しくする予定でしたが、
我々が着いた時はすでに新しくなっていました。
我々が着いた時はすでに、練行衆の11名の方達は食堂で食事中で
時々お経の声が聞こえました。
修二会の14日間は、食事は一日一回、ご飯一膳とお汁だけのとのこと。
12時50分頃、食堂の戸が開いて、練行衆が一人ひとり戸口に出て、
紙に包んだご飯(生飯(さば))を、閼伽井屋の屋根などに
投げました。 鳥や獣に食を分けるためです。
すでにこの事を知っているのでしょう、鹿やカラスが寄っていました、
その後登廊から二月堂に上り、堂内で行われている修二会の行を
拝見しました。といっても、行は暗い内陣の帳の中で行われているので、
外からは読経の声を聞き、僧の影が見えるだけです。
西側の正面から右手南側の局入り口から堂内に入って見学しましたが、
やはり内陣は暗くて見えず、変化のあるリズミカルな声明が
聞こえるだけでした。
真っ暗なので、練行衆はお経や掛け声をすべて覚えているのでしょう。
じっと聞いていると厳かな気分になりました。
修二会は、罪を懺悔し、天下泰安を祈る法要ですが、奈良時代に始まり、
今年で1264回目、一度も休まず毎年続けられています。
おそらく4年前の今日の東日本大震災のことも祈られているのでは
ないでしょうか。
その後、右手の龍美堂茶屋でわらび餅と抹茶をいただき、二月堂を
辞しました。
内陣の沓音高き修二会かな 常朝
お水取帳に走る僧の影 常朝
(絵馬堂茶屋)
(二月堂)
(閼伽井屋)
(篭松明)
(篭松明の篭)
(生飯を投げる練行衆)
(龍美堂茶屋)
その後手向山神社そばの駐車場に戻り、旧ドリームランドの前のココスで
小句会後解散しました。
寒いながらも好天に恵まれ、満開に近い梅と、厳粛な修二会の雰囲気を
味わえた早春の一日でした。
ラベル:
吟行案内
2015年2月28日土曜日
207.大和郡山市の「大和な雛まつり」から郡山城の盆梅展
「アカシア紀行・俳句」2015年2月26日(木) 前へ 次へ
2月雨水の頃の一日中雨の日、
いつものメンバー6人で、大和郡山市の「大和な雛まつり」の
雛展示のひとつ「旧川本邸」と郡山城の盆梅展を訪ねました。
9時半すぎ郡山城の追手門で集合し、ひな祭りの代表的な会場である、
川本邸に行きました。
「大和な雛まつり」は今年で4回めで、市内の120ヶ所の店舗、民家などに
雛飾りを展示し一般に公開されています。(今年は2月21日から3月8日)
旧川本邸は源九郎稲荷神社参道の西側にある元遊郭で建物は市が保存しています。
我々は車で稲荷神社を訪ねましたが、参道入口への道(駅前商店街)は、
一歩通行のため新紺屋町交差点からは入れず、
近鉄郡山駅のバスターミナルへ戻りましたが、そこからは商店街通りへは
入れず、2回も挑戦しました。結局、新紺屋町交差点の藺町線の南のオークワ
スーパーの駐車場に車を置かせてもらい、雨の中を300メートルほど歩きました。
オークワ駐車場のすぐ北に神社があるのですが、通路さえありませんでした。
(入り口を探して走ったので交差点を行き過ぎずメンバーを下ろすべきでした)
川本邸は木造3階建で入り口は狭いですが、遊郭らしく小部屋が沢山あります。
玄関で、係の女性から署名用紙を渡され、建物が耐震でないので、
万一の時は自己責任を了解して住所氏名を記入して下さいとのことで、
全員署名しました。
渡された袋に傘と靴を入れ、持ちながら各部屋にある雛飾りを見学しました。
昭和初期からの立派な雛壇から、階段上の90センチ四方の隙間に飾る雛壇まで、
約10種類以上の雛飾りを見学しました。
2階への大階段にも、ぎっしり雛人形がありました。
もちろん、内裏びな、三人官女、五人ばやし、左大臣、右大臣、仕丁、
雛道具、菱餅などです。
雛人形は同じように見えますが、よく見ると顔や目の形が違いました。
雛道具には火鉢もあり、網付きもありました。
吊し雛には金魚もあり、別の部屋には、山と川を模して、三つの筏にのせた
「流し雛」もありました。
また帰りに、川本邸の壁を見るとハート型の桃尻窓がありました。
悲しみとも慈愛とも見ゆ女雛の眼 常朝
布製の金魚もありし吊し雛 常朝
(川本邸案内図:クリックで拡大:以後同じ)
(御殿雛)
(川本邸内庭)
(階段上の雛飾り)
(階段の雛飾り)
(流し雛)
雨は降っていますが小雨程度なので、川本邸のすぐ南東にある源九郎稲荷神社を
再び訪ねました。 (参照:アカシア紀行169)
ここでも雛飾りがありました。
雛壇に狐雛や狐面が置かれて、稲荷神社らしい雛飾りです。
歌舞伎の勘九郎が寄進した枝垂れ梅が咲き、狛狐が雨に濡れていました。
稲荷杜に展示されたる狐雛 常朝
(源九郎稲荷神社)
(稲荷神社の雛飾り)
(雛掛軸)
その後、郡山城北西の「弁慶」で昼食をいただき追手門に戻って、
盆梅展を訪ねました。
普段は追手門の中は車禁止ですが、盆梅展中は車で中に入れました。
盆梅展の会場は追手門の上の建物で、外の受付ボックスで
入場料(60才以上400円)を払い、傘と靴をそれぞれの袋に入れて
持ちながら見学しました。
今年は12回目のようですが、展示の盆梅は、以前より立派で大きい感じでした。
幹が一抱えもあり、高さが3メートルほどの「大納言」という鉢もあり、
盆梅とは言えないようなものも多くありました。
盆梅の銘も、宝船、朧月夜、悠妃、紅姫、霧氷、順慶など、
奥ゆかしい名が付けられていました、
盆梅展出口に置かる梅も良し 常朝
(盆梅展ポスター)

(盆梅展入り口)
(盆梅-朧月夜)
(盆梅-大納言)
出口で、梅を育てる人に聞くと、
大きい梅は庭に直植えされており、展示のために、鉢に移し、
終わるとまた庭に戻すとのことです。
建物から出た庭にも盆梅があり、直植えの枝垂れ梅も数本ありました。
やや小止みになった雨の中を筒井駅の西の「さと」に移動して、
3時頃から小句会後解散しました。
今日はあまり寒くなく、春を感じさせる雛飾りや、
見事な梅のさまざまを楽しめました。
一日中雨でしたが、雛壇も盆梅も建物の中だったので、助かりました。
2月雨水の頃の一日中雨の日、
いつものメンバー6人で、大和郡山市の「大和な雛まつり」の
雛展示のひとつ「旧川本邸」と郡山城の盆梅展を訪ねました。
9時半すぎ郡山城の追手門で集合し、ひな祭りの代表的な会場である、
川本邸に行きました。
「大和な雛まつり」は今年で4回めで、市内の120ヶ所の店舗、民家などに
雛飾りを展示し一般に公開されています。(今年は2月21日から3月8日)
旧川本邸は源九郎稲荷神社参道の西側にある元遊郭で建物は市が保存しています。
我々は車で稲荷神社を訪ねましたが、参道入口への道(駅前商店街)は、
一歩通行のため新紺屋町交差点からは入れず、
近鉄郡山駅のバスターミナルへ戻りましたが、そこからは商店街通りへは
入れず、2回も挑戦しました。結局、新紺屋町交差点の藺町線の南のオークワ
スーパーの駐車場に車を置かせてもらい、雨の中を300メートルほど歩きました。
オークワ駐車場のすぐ北に神社があるのですが、通路さえありませんでした。
(入り口を探して走ったので交差点を行き過ぎずメンバーを下ろすべきでした)
川本邸は木造3階建で入り口は狭いですが、遊郭らしく小部屋が沢山あります。
玄関で、係の女性から署名用紙を渡され、建物が耐震でないので、
万一の時は自己責任を了解して住所氏名を記入して下さいとのことで、
全員署名しました。
渡された袋に傘と靴を入れ、持ちながら各部屋にある雛飾りを見学しました。
昭和初期からの立派な雛壇から、階段上の90センチ四方の隙間に飾る雛壇まで、
約10種類以上の雛飾りを見学しました。
2階への大階段にも、ぎっしり雛人形がありました。
もちろん、内裏びな、三人官女、五人ばやし、左大臣、右大臣、仕丁、
雛道具、菱餅などです。
雛人形は同じように見えますが、よく見ると顔や目の形が違いました。
雛道具には火鉢もあり、網付きもありました。
吊し雛には金魚もあり、別の部屋には、山と川を模して、三つの筏にのせた
「流し雛」もありました。
また帰りに、川本邸の壁を見るとハート型の桃尻窓がありました。
悲しみとも慈愛とも見ゆ女雛の眼 常朝
布製の金魚もありし吊し雛 常朝
(川本邸案内図:クリックで拡大:以後同じ)
(御殿雛)
(川本邸内庭)
(階段上の雛飾り)
(階段の雛飾り)
(流し雛)
雨は降っていますが小雨程度なので、川本邸のすぐ南東にある源九郎稲荷神社を
再び訪ねました。 (参照:アカシア紀行169)
ここでも雛飾りがありました。
雛壇に狐雛や狐面が置かれて、稲荷神社らしい雛飾りです。
歌舞伎の勘九郎が寄進した枝垂れ梅が咲き、狛狐が雨に濡れていました。
稲荷杜に展示されたる狐雛 常朝
(源九郎稲荷神社)
(稲荷神社の雛飾り)
(雛掛軸)
その後、郡山城北西の「弁慶」で昼食をいただき追手門に戻って、
盆梅展を訪ねました。
普段は追手門の中は車禁止ですが、盆梅展中は車で中に入れました。
盆梅展の会場は追手門の上の建物で、外の受付ボックスで
入場料(60才以上400円)を払い、傘と靴をそれぞれの袋に入れて
持ちながら見学しました。
今年は12回目のようですが、展示の盆梅は、以前より立派で大きい感じでした。
幹が一抱えもあり、高さが3メートルほどの「大納言」という鉢もあり、
盆梅とは言えないようなものも多くありました。
盆梅の銘も、宝船、朧月夜、悠妃、紅姫、霧氷、順慶など、
奥ゆかしい名が付けられていました、
盆梅展出口に置かる梅も良し 常朝
(盆梅展ポスター)

(盆梅展入り口)
(盆梅-朧月夜)
(盆梅-大納言)
出口で、梅を育てる人に聞くと、
大きい梅は庭に直植えされており、展示のために、鉢に移し、
終わるとまた庭に戻すとのことです。
建物から出た庭にも盆梅があり、直植えの枝垂れ梅も数本ありました。
やや小止みになった雨の中を筒井駅の西の「さと」に移動して、
3時頃から小句会後解散しました。
今日はあまり寒くなく、春を感じさせる雛飾りや、
見事な梅のさまざまを楽しめました。
一日中雨でしたが、雛壇も盆梅も建物の中だったので、助かりました。
ラベル:
吟行案内
2015年2月13日金曜日
206. 奈良.河合町の広瀬大社「砂かけ祭」
「アカシア紀行・俳句」2015年2月11日(水) 前へ 次へ
2月の寒い日が続いたあと、久しぶりに暖かな晴天にめぐまれた
建国記念日、いつものメンバー6人で、奈良・河合町の広瀬大社の
砂かけ祭を訪ねました。
広瀬大社は去年花吹雪の日に訪ねましたが、大和川、飛鳥川、曽我川が
集まる水の要所にある、旧官幣大社として格式のある神社です。
(アカシア紀行189)(参照)
砂かけ祭はお田植え祭で、砂を雨に見立てた祈雨の神事でもあり、
午前中の殿上の儀と午後の庭上の儀に分かれています。
我々が10時前に神社の駐車場に着いたら、すでに数十台の車が、
臨時の駐車場とされた神社の隣の会社の駐車場にありました。
300メートルもある長い参道の北側は数十の屋台が準備中でした。
また境内一面に厚さ5センチ位に砂が撒かれてあります。
(広瀬大社:クリックで拡大:以後同じ)
(拝殿)
(砂かけ祭の場所)
拝殿で参拝後、境内を散策していたら、殿上のお田植え祭に参列する
人々が、拝殿の左側に集まり、御手洗岩の水で手と口を清めて順番に拝殿にのぼりました。
御手洗岩では高校生らしい1人の巫女が杓を持ち、もう一人の巫女が
白い紙を持って、参列者一人ひとりに、手と口を清めるのを手伝いました。
(手水を使う参列者)
参列者約60人は拝殿にコの字型に座り、真ん中がお田植えの田とされます。
11時になると笙の音とともに、マイクで開式が宣言され、
お田植え祭が始まりました。
宮司の祝詞やお祓い、巫女の舞のあと、田の農作業を模した儀式となり、
牛役と農夫役が拝殿の中央を巡って田を耕す仕草をしました。
消防団の若い人が、モオーと鳴く牛(牛役)に、「羊」と言って「メエー」、
「猫」と言って「ニャオー」と鳴かせたり、冗談を言って牛を笑わせたり
しました。その後2人の巫女の田植儀式がありました。
殿上のお田植え祭が終わる頃は昼前になったので昼食のために、
神社の南側の寿司店「寿司の喜多八」に行きました。
店が混んでいたので予約して、外で待ちましたが1時間たっても席が空かないので、
あきらめて参道に戻り屋台のたこ焼きなどをいただきました。
(たこ焼きの屋台)
(屋台)
午後2時、いわゆる砂かけ祭がはじまりました。
拝殿の前に竹(斎竹:いみだけ)で囲まれた10メートル四方位の土地を
田として、お田植え祭をおこないます。
多勢の人々が囲む中、白覆面の人が出てきて、
周囲の田の畦をならすように木の鋤で砂を突き刺して一周したら、
いきなり、鋤で砂を見物客にかけ始めました。
見物客も若い人たちは、キャーキャーと騒ぎながら、
覆面男や他の人達に砂をかけ始めました。
数分すると太鼓の音が聞こえ、砂かけは一旦中止となりましたが、
数分休憩すると再び覆面男が出てきて砂をかけ始めました。
このような掛け合いを8回繰り返すそうです。
最初は覆面男は一人だったので、カメラマンが主役に集中して、
姿が見えないほどでしたが、3回目位からは、覆面男が3人になり、
斎竹の外側にも出てきて、我々が立っていた神馬堂や売店の方まで
砂を飛ばしたので、皆頭から砂を被りました。
幸いビニールの合羽を着ていたので、助かりましたが。
砂の掛け合いが盛んなほど豊作といわれ、掛かる砂は厄除けに
なるそうです。
牛の声猫にも変りお田植え祭 常朝
逃げゐても砂の掛かりし春祭 常朝
(砂かけ祭:覆面が砂かけ男)
砂かけはまだ続いていましたが、我々は3時頃神社を辞して、
法隆寺東の「さと」で小句会後解散しました。
2月としては暖かい天気に恵まれ大和の珍しい祭を体験できた一日でした。
2月の寒い日が続いたあと、久しぶりに暖かな晴天にめぐまれた
建国記念日、いつものメンバー6人で、奈良・河合町の広瀬大社の
砂かけ祭を訪ねました。
広瀬大社は去年花吹雪の日に訪ねましたが、大和川、飛鳥川、曽我川が
集まる水の要所にある、旧官幣大社として格式のある神社です。
(アカシア紀行189)(参照)
砂かけ祭はお田植え祭で、砂を雨に見立てた祈雨の神事でもあり、
午前中の殿上の儀と午後の庭上の儀に分かれています。
我々が10時前に神社の駐車場に着いたら、すでに数十台の車が、
臨時の駐車場とされた神社の隣の会社の駐車場にありました。
300メートルもある長い参道の北側は数十の屋台が準備中でした。
また境内一面に厚さ5センチ位に砂が撒かれてあります。
(広瀬大社:クリックで拡大:以後同じ)
(拝殿)
(砂かけ祭の場所)
拝殿で参拝後、境内を散策していたら、殿上のお田植え祭に参列する
人々が、拝殿の左側に集まり、御手洗岩の水で手と口を清めて順番に拝殿にのぼりました。
御手洗岩では高校生らしい1人の巫女が杓を持ち、もう一人の巫女が
白い紙を持って、参列者一人ひとりに、手と口を清めるのを手伝いました。
(手水を使う参列者)
参列者約60人は拝殿にコの字型に座り、真ん中がお田植えの田とされます。
11時になると笙の音とともに、マイクで開式が宣言され、
お田植え祭が始まりました。
宮司の祝詞やお祓い、巫女の舞のあと、田の農作業を模した儀式となり、
牛役と農夫役が拝殿の中央を巡って田を耕す仕草をしました。
消防団の若い人が、モオーと鳴く牛(牛役)に、「羊」と言って「メエー」、
「猫」と言って「ニャオー」と鳴かせたり、冗談を言って牛を笑わせたり
しました。その後2人の巫女の田植儀式がありました。
殿上のお田植え祭が終わる頃は昼前になったので昼食のために、
神社の南側の寿司店「寿司の喜多八」に行きました。
店が混んでいたので予約して、外で待ちましたが1時間たっても席が空かないので、
あきらめて参道に戻り屋台のたこ焼きなどをいただきました。
(たこ焼きの屋台)
(屋台)
午後2時、いわゆる砂かけ祭がはじまりました。
拝殿の前に竹(斎竹:いみだけ)で囲まれた10メートル四方位の土地を
田として、お田植え祭をおこないます。
多勢の人々が囲む中、白覆面の人が出てきて、
周囲の田の畦をならすように木の鋤で砂を突き刺して一周したら、
いきなり、鋤で砂を見物客にかけ始めました。
見物客も若い人たちは、キャーキャーと騒ぎながら、
覆面男や他の人達に砂をかけ始めました。
数分すると太鼓の音が聞こえ、砂かけは一旦中止となりましたが、
数分休憩すると再び覆面男が出てきて砂をかけ始めました。
このような掛け合いを8回繰り返すそうです。
最初は覆面男は一人だったので、カメラマンが主役に集中して、
姿が見えないほどでしたが、3回目位からは、覆面男が3人になり、
斎竹の外側にも出てきて、我々が立っていた神馬堂や売店の方まで
砂を飛ばしたので、皆頭から砂を被りました。
幸いビニールの合羽を着ていたので、助かりましたが。
砂の掛け合いが盛んなほど豊作といわれ、掛かる砂は厄除けに
なるそうです。
牛の声猫にも変りお田植え祭 常朝
逃げゐても砂の掛かりし春祭 常朝
(砂かけ祭:覆面が砂かけ男)
砂かけはまだ続いていましたが、我々は3時頃神社を辞して、
法隆寺東の「さと」で小句会後解散しました。
2月としては暖かい天気に恵まれ大和の珍しい祭を体験できた一日でした。
ラベル:
吟行案内
2015年2月1日日曜日
205.奈良・生駒市鹿畑町の素戔嗚神社
「アカシア紀行・俳句」2015年1月31日(土) 前へ 次へ
1月最後の日、いつものメンバー3人(他のメンバーは欠席)で、
奈良・生駒市鹿畑町の素戔嗚(すさのお)神社などを訪ねました。
10時すぎ、奈良の自宅に集まり、奈良先端技術大学院大学の北側から、
生駒市鹿畑町の素戔嗚神社に着きました。
神社は、鹿畑町の北側のほぼ山頂にあり、境内からは
奈良の若草山が見えます。
説明板などによると、天正3年(1575)鹿畑町の鎮守として祀られたのが
始まりとのこと。
素戔嗚命、大国主命、琴平明神、天照大神、春日明神、八幡神が
祀られ、愛宕神社もあります。
石の鳥居をくぐった境内左手奥には小さな磐座(いわくら)が祀られ、
賽の神とあります。
賽の神の左手と鳥居の右側には宮座の(祭用の窓のない)建物があり、
中央には舞殿、右奥に社務所、奥に山車(だし)蔵もあります。
左手の石段上に拝殿と本殿があり、摂社を巡っていたら、宮司が来られて
石段下の掲示板の行事掲示を新しく変えられました。
宮司のお話では、昔から東側山中に水神を祀っていたが、天正3年に
京都八坂神社から、祇園の牛頭(ごず)天王を勧請し、それが
素戔嗚命となったとのこと。
宮座は集落ごとにあるので5つあるが今実動は4つ(4集落)で、
祭の時は2つの宮座建物に分かれてお供えを積み上げるようです。
10月の祭では、昔は舞殿で浪曲、萬歳などを奉納したが、
今はカラオケだけのようです。
大きな山車を163号線の道路まで引いて、また急な坂を登ってくるそうです。
鹿畑町の住宅が増えたので、大晦日から元日は初詣の人出が多くなり、
宮司は朝まで境内におられたとのことです。
風花や杜の大樫見上ぐれば 常朝
行事表貼り替ふ宮司春近し 常朝
(素戔嗚神社:クリックで拡大:以後同じ)
(舞殿)
(説明板)
(行事表)
(賽の神)
その後、神社の北側の尾根道を車で進み、500メートルほどの右側にある
分水筒、さらに500メートルほどにある分水堰と農小屋、葱畑などを見ました。
分水筒や分水堰は、山からの水を、下の田に公平に分配するために
作られたコンクリート製の装置です。
3メートル以上もある分水堰は水が流れていませんでした。
風冴ゆる分水堰に水あらず 常朝
三面に割木積む小屋日足伸ぶ 常朝
(分水筒)
(池と畑小屋)
分水堰からは高山町へ降り、自宅で昼食として「ほうとう」などをいただいて
解散しました。
ここ数日間は雨模様でしたが、今日は寒風とともに日差しもあり、
雲間の青空から風花もちらほらと散って、春近いことを感じる一日でした。
1月最後の日、いつものメンバー3人(他のメンバーは欠席)で、
奈良・生駒市鹿畑町の素戔嗚(すさのお)神社などを訪ねました。
10時すぎ、奈良の自宅に集まり、奈良先端技術大学院大学の北側から、
生駒市鹿畑町の素戔嗚神社に着きました。
神社は、鹿畑町の北側のほぼ山頂にあり、境内からは
奈良の若草山が見えます。
説明板などによると、天正3年(1575)鹿畑町の鎮守として祀られたのが
始まりとのこと。
素戔嗚命、大国主命、琴平明神、天照大神、春日明神、八幡神が
祀られ、愛宕神社もあります。
石の鳥居をくぐった境内左手奥には小さな磐座(いわくら)が祀られ、
賽の神とあります。
賽の神の左手と鳥居の右側には宮座の(祭用の窓のない)建物があり、
中央には舞殿、右奥に社務所、奥に山車(だし)蔵もあります。
左手の石段上に拝殿と本殿があり、摂社を巡っていたら、宮司が来られて
石段下の掲示板の行事掲示を新しく変えられました。
宮司のお話では、昔から東側山中に水神を祀っていたが、天正3年に
京都八坂神社から、祇園の牛頭(ごず)天王を勧請し、それが
素戔嗚命となったとのこと。
宮座は集落ごとにあるので5つあるが今実動は4つ(4集落)で、
祭の時は2つの宮座建物に分かれてお供えを積み上げるようです。
10月の祭では、昔は舞殿で浪曲、萬歳などを奉納したが、
今はカラオケだけのようです。
大きな山車を163号線の道路まで引いて、また急な坂を登ってくるそうです。
鹿畑町の住宅が増えたので、大晦日から元日は初詣の人出が多くなり、
宮司は朝まで境内におられたとのことです。
風花や杜の大樫見上ぐれば 常朝
行事表貼り替ふ宮司春近し 常朝
(素戔嗚神社:クリックで拡大:以後同じ)
(舞殿)
(説明板)
(行事表)
(賽の神)
その後、神社の北側の尾根道を車で進み、500メートルほどの右側にある
分水筒、さらに500メートルほどにある分水堰と農小屋、葱畑などを見ました。
分水筒や分水堰は、山からの水を、下の田に公平に分配するために
作られたコンクリート製の装置です。
3メートル以上もある分水堰は水が流れていませんでした。
風冴ゆる分水堰に水あらず 常朝
三面に割木積む小屋日足伸ぶ 常朝
(分水筒)
(池と畑小屋)
分水堰からは高山町へ降り、自宅で昼食として「ほうとう」などをいただいて
解散しました。
ここ数日間は雨模様でしたが、今日は寒風とともに日差しもあり、
雲間の青空から風花もちらほらと散って、春近いことを感じる一日でした。
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2015年1月11日日曜日
204.奈良・正暦寺清酒祭から春日十日戎
「アカシア紀行・俳句」2015年1月10日(土) 前へ 次へ
正月の十日戎の日、いつものメンバー6人で、
奈良・正暦寺の清酒祭から春日大社摂社の十日戎を訪ねました。
9時すぎ、天理インターチェンジの入口のセブン-イレブンで集合し、
まず菩提仙川上流の正暦寺を訪ねました。
9時半頃着くと、すでに寺の駐車場にはテントが張られ、
すでに清酒祭が始まっていました。
今日は酒の仕込みと蔵元への引き渡しを行う清酒祭です。
30人位の人が集まっており、据え付けられた大きな甑(こしき:蒸し器)
からは、米を蒸す湯気が高々と寺山に上がり、
地面には葦簀(よしぅ)が6枚敷かれています。
前回のアカシア紀行にも記入しましたが、正暦寺は清酒発祥の寺とされ、
寺領で採取された麹(こうじ:菩提もと)による清酒の酒母を
奈良の蔵元9社に配布しているようです。
大原住職が、マイクで酒の仕込みの手順を説明されました。
酒は通常寒い時期に仕込みますが、ここは乳酸の殺菌力を利用して、
夏でも作れるようになったとのこと。
そのうち6~7本の長い杵で、見学者も参加して餅搗きが始まり、
皆に、きな粉と餡かけの餅をふるまってくれました。
さらに、具の沢山入った粕汁もふるまわれました。
蒸し上がった米が、葦簀の上に広げられ、数人の男女が、手袋の手で、
こまかくならしました。
10度以下に温度を下げて、別の大きな釜に、麹と乳酸の入った
水と共に入れ、発酵させ、酒母を作るとのこと。
我々は次の予定があったので、釜に入れるのを見ないでお寺を辞しました。
寺山に湯気高高と寒造り 常朝
具の多き粕汁もあり清酒祭 常朝
(正暦寺清酒祭テント:クリックで拡大:以後同じ)
(甑(こしき))
(飾り樽)
(もちつき)
(蒸米さまし)
奈良市の東大寺南大門手前の夢広場のTEN-TEN-CAFEで昼食をいただき、
春日大社の佐良気神社(恵比寿神社)へ参道を歩きました。
参道には山上憶良の秋の七草の万葉歌碑があります。
萩の花尾花葛花なでしこの花
をみなへし藤袴また朝顔(桔梗)の花 山上憶良
(山上憶良の歌碑)
参道では雌鹿がせんべいを欲しがっていたので、メンバーの女性は
売店で鹿せんべいを買いましたが、お金を払う前から、
鹿に背中などをつつかれていました。
勿論せんべいは、あっという間になくなりました。
また今年来年は春日大社の20年毎の60回目の式年造替なので、
参道には桧皮寄進(1000円)の垂れ幕もありました。
万葉植物園の入口では、神社の人々が笹を参拝者に渡しています。
笹は無料ですが、ぶら下げる吉兆(招福の飾り物)は1個300円以上と、
商魂たくましいようです。
春日山中の佐良気神社に着くと、本殿の前の吉兆売り場には、
5~6人の福娘が、美しい巫女姿で烏帽子を被って、
参拝者に縁起物などを売っています。
笹に吉兆を飾り付けたあと、参拝者に対して一人ひとり鈴を振ります。
吉兆をつけてもらったあと、春日若宮入口で甘酒をいただき、
春日大社を辞しました。
吉兆買ふ春日の森によき日差 常朝
福娘は大社の巫女よ良き鈴音 常朝
(佐良気神社)
(佐良気神社説明板)
(吉兆売り場)
その後、再び夢広場に戻り天平庵で小句会をしました。
三連休の始めの土曜日のためか、店がかなり混んでいたので、
披講はやめて早々に退散・解散しました。
一日中曇りの予報でしたが、午後は日差が戻り少し暖かくなり、
穏やかな恵比寿の日でした。
正月の十日戎の日、いつものメンバー6人で、
奈良・正暦寺の清酒祭から春日大社摂社の十日戎を訪ねました。
9時すぎ、天理インターチェンジの入口のセブン-イレブンで集合し、
まず菩提仙川上流の正暦寺を訪ねました。
9時半頃着くと、すでに寺の駐車場にはテントが張られ、
すでに清酒祭が始まっていました。
今日は酒の仕込みと蔵元への引き渡しを行う清酒祭です。
30人位の人が集まっており、据え付けられた大きな甑(こしき:蒸し器)
からは、米を蒸す湯気が高々と寺山に上がり、
地面には葦簀(よしぅ)が6枚敷かれています。
前回のアカシア紀行にも記入しましたが、正暦寺は清酒発祥の寺とされ、
寺領で採取された麹(こうじ:菩提もと)による清酒の酒母を
奈良の蔵元9社に配布しているようです。
大原住職が、マイクで酒の仕込みの手順を説明されました。
酒は通常寒い時期に仕込みますが、ここは乳酸の殺菌力を利用して、
夏でも作れるようになったとのこと。
そのうち6~7本の長い杵で、見学者も参加して餅搗きが始まり、
皆に、きな粉と餡かけの餅をふるまってくれました。
さらに、具の沢山入った粕汁もふるまわれました。
蒸し上がった米が、葦簀の上に広げられ、数人の男女が、手袋の手で、
こまかくならしました。
10度以下に温度を下げて、別の大きな釜に、麹と乳酸の入った
水と共に入れ、発酵させ、酒母を作るとのこと。
我々は次の予定があったので、釜に入れるのを見ないでお寺を辞しました。
寺山に湯気高高と寒造り 常朝
具の多き粕汁もあり清酒祭 常朝
(正暦寺清酒祭テント:クリックで拡大:以後同じ)
(甑(こしき))
(飾り樽)
(もちつき)
(蒸米さまし)
奈良市の東大寺南大門手前の夢広場のTEN-TEN-CAFEで昼食をいただき、
春日大社の佐良気神社(恵比寿神社)へ参道を歩きました。
参道には山上憶良の秋の七草の万葉歌碑があります。
萩の花尾花葛花なでしこの花
をみなへし藤袴また朝顔(桔梗)の花 山上憶良
(山上憶良の歌碑)
売店で鹿せんべいを買いましたが、お金を払う前から、
鹿に背中などをつつかれていました。
勿論せんべいは、あっという間になくなりました。
また今年来年は春日大社の20年毎の60回目の式年造替なので、
参道には桧皮寄進(1000円)の垂れ幕もありました。
万葉植物園の入口では、神社の人々が笹を参拝者に渡しています。
笹は無料ですが、ぶら下げる吉兆(招福の飾り物)は1個300円以上と、
商魂たくましいようです。
春日山中の佐良気神社に着くと、本殿の前の吉兆売り場には、
5~6人の福娘が、美しい巫女姿で烏帽子を被って、
参拝者に縁起物などを売っています。
笹に吉兆を飾り付けたあと、参拝者に対して一人ひとり鈴を振ります。
吉兆をつけてもらったあと、春日若宮入口で甘酒をいただき、
春日大社を辞しました。
吉兆買ふ春日の森によき日差 常朝
福娘は大社の巫女よ良き鈴音 常朝
(佐良気神社)
(佐良気神社説明板)
(吉兆売り場)
その後、再び夢広場に戻り天平庵で小句会をしました。
三連休の始めの土曜日のためか、店がかなり混んでいたので、
披講はやめて早々に退散・解散しました。
一日中曇りの予報でしたが、午後は日差が戻り少し暖かくなり、
穏やかな恵比寿の日でした。
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