2008年11月10日月曜日

74.仏隆寺・鹿火屋・千本杉から大野寺・琴引峠

「アカシア紀行・俳句」2008年11月9日(日)

 立冬すぎた雨もようの日、常のメンバー6人で奈良・宇陀市高井の仏隆寺を
はじめ宇陀路を訪ねました。
仏隆寺は、いただいた縁起によると平安時代(850年)、弘法大師(空海)
の高弟堅恵(けんね)により創建された真言宗のお寺です。
場所は近鉄大阪線・榛原駅経由、バス停留所・高井から徒歩約30分の
山の中腹にあります。
我々は車で、榛原駅南の369号線を東南へ約4キロの高井・バス停から左へ
それて狭い道を2キロほど上りました。

 仏隆寺は春は桜の巨樹、秋は彼岸花で有名ですが
我々が訪ねた日は雨がぱらつく深秋のさみしい日でした。

 下の地蔵堂の萱葺き屋根から雨しずくが落ち、谷清水はかなり急流でした。
そこから長い登りの石段の脇には山桜の巨樹が黄葉で、茶の花、リンドウ、
キリンソウ、釣鐘人参などと、本堂右には貴船菊が咲いていました。
 
 上の本堂では、本尊の十一面観音、右の玉眼の弘法大師像、左の堅恵像に
お参りし、唐の得宗から拝受し大和茶発祥のもととなったともいわれる、
寺宝の茶臼を拝見、手で回させてもらいました。
本堂右の堅恵上人の石室は、平成10年の台風7号で倒れた5本の大杉の下に
なっても壊れなかったそうです。

 その後、仏隆寺から坂道を降りて約1キロ位の谷の右側にある
鹿火屋(かびや:鹿・猪などを追うための農小屋)を訪ねました。
たまたま小屋は留守でしたが、焼帛(やきしめ:煙で猪などを追うもの)
や竹製の添水(そうず)などを拝見しました。
杉山と棚田の境には長い猪垣がありました。

 さらに500メートルほど降りた所を左に上る旧伊勢本道の500メートル
ほどにある旅籠跡の松本家と千本杉、千井戸を訪ねました。
千本杉は樹齢500~600年、径70~80cmの 5、6本の杉の大木が、
根元がゆ着して生えているもので、目の高さの周囲22メートル、
高さ30メートルの圧倒される巨大さです。
千本杉を守っておられる、その屋敷の主婦の人がたまたまおられて、
色々お聞きしました。
千本杉には神が宿っており、不思議なご利益があるそうです。
訪ねてきた娘婿のフランス人がこの樹に長く祈ったとのこと。
道の標識に千仏堂へ500メートルとあったので、うろうろして、
やっと東北の赤埴(あかばね)地区に千仏堂を見つけましたが、
高さ24センチの仏像が260ほど並んで祀られているだけでした。

 369号線のきらく寿司で昼食後、大野寺と磨岩仏を参拝しました。
磨岩仏はやや磨耗していますが、銀杏など紅葉がきれいでした。
その後、三本松の琴引峠に行きました。
琴引峠は全国行脚をしたという鎌倉幕府執権・北條時頼が琴を弾いたとか、
義経や静が琴を弾いたとかの伝説があるそうです。
旧伊勢街道の峠なので芭蕉翁も通ったでしょう。
鉄道敷設で峠道はなくなっていますが、室生東小学校の南の長命寺の境内
にある『琴彈峠跡』の碑などを見て、境内の大木のカヤの実を拾いました。
さらに北東500メートルほどの道の駅「宇陀路室生」で小句会後解散しました。


         地蔵堂萱先ひかる冬の雨      常朝     
          
         杉山に一樹の黄葉の明るさよ    常朝

         千本杉の湧水細く冬来たる     常朝   

        (仏隆寺の石段と山桜・写真はすべてクリックで拡大)

        (仏隆寺の地蔵堂)


        (千本杉)

        (大野寺の磨崖佛)

        (琴引峠・長命寺境内)

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