2008年11月2日日曜日

73.石清水八幡宮から松花堂庭園

「アカシア紀行・俳句」2008年10月31日(金)

 秋晴れの10月最後の日、常のメンバー6人で京都府八幡市の
男山にある石清水八幡宮に参拝しました。
石清水八幡宮は平安時代に大安寺の僧、行教が宇佐八幡の神託を受けて
創建したといわれる王城守護の神社で、祭神は応神天皇、神功皇后
ほかです。
昔、源義家がここで元服して「八幡太郎義家」と云ったそうです。
また徒然草52段に、仁和寺の僧が麓の極楽寺、高良神社などを八幡宮と
勘違いして帰ってしまった話があります。

 電車では、京阪の八幡市駅から男山山上までケーブルがありますが、
我々は国道24号線、府道15号線を経由して22号線から八幡の東側の
駐車場に11時ころ着きました。
今は高良神社は駐車場の西側山麓に小さくありますが、昔はもっと
立派だったのでしょう。
駐車場の北側には八幡宮の屯宮(お旅所)がありますが、
我々は勘違いせずに、正しい八幡宮を目ざしました。

 大きな石の鳥居から表参道のゆるやかな石の階段をゆっくり
50分ほどかけて頂上の八幡宮まで歩きました。
紅葉はまだでしたが野良猫が5匹ほど参道に遊んでいました。
途中甘酒などの売店がありましたが閉店中でした。
頂上の長い参道を歩くとカラフルで立派な宮が見えましたが、
これは楼門と翼殿でした。
左側から本殿の見える門に少し入ると若い巫女がきて、
立入禁止といわれ階段を戻りました。
男山の由来を聞くともとは「雄徳山」で変化したらしいとのことです。
本殿は改修中で、裏に仮本殿があり、七五三の一家族が祈祷後の
お参りにきていました。7歳の男子と振袖姿の5歳の女の子でした。

 帰りは、裏参道を降りましたが、途中石清水の井戸と社があり、
さらに下りると松花堂跡がありました。
江戸時代松花堂弁当の由来の僧、昭乗が棲んだ坊の跡だそうです。

 午後1時すぎ、南2キロほどの松花堂庭園を訪ねました。
この庭園は八幡市の庭園ですが、明治24年ころ男山から
移築された松花堂などを中心に作られた、東西100メートル、
南北150メートルほどもある広い日本式庭園です。
吉兆松花堂店やミュージアムもあります。
まず吉兆で松花堂をいただいたあと、庭園を拝見しました。

 庭園は、外園の中に内園があります。
外園には吉井勇の歌碑、緋鯉のいる池と、小堀遠州の再現茶室
(松隠)や宗旦の茶室(梅隠)、水琴窟などがあり、
内園の北奥に明治24年移築された松花堂(茶室)と泉坊書院があります。

茶室も風雅ですが、庭のあちこちに四目垣、竹枝穂垣、
網代垣、建仁寺垣、御簾垣など、竹を上手に使った垣があり、
種々の椿(金魚葉椿など)も植えられ、山茶花や薄紅葉が
きれいでした。庭園の通行止めの石、止石も見ました。

夕方奈良女子大北側の喫茶店「ライム」で小句会後解散しました。


         松花堂跡に青き実藪茗荷      常朝

         石清水の流れを隠す落葉かな    常朝

         内園の光やはらか薄紅葉      常朝

        (石清水八幡宮翼殿と楼門・写真はすべてクリックで拡大)
 
        (石清水)

        (松花堂跡)

        (松花堂庭園 内園への門)
 

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