「アカシア紀行・俳句」2008年11月14日(金)
小春日和のあたたかい日、10月初以来のメンバー3人で奈良の平群を
訪ねました。
まず近鉄生駒線平群駅の北400メートルくらいにある、長屋王のお墓を
参拝しました。長屋王は天武天皇の高市皇子のお子で、奈良時代左大臣の
とき讒言にあってその妃吉備内親王とお子と共に自殺に追い込まれました。
この長屋王の変は藤原氏の陰謀といわれています。
1988年、奈良市二条大路の当時のそごう百貨店建設の際、その邸宅跡に
大量の木簡が発見されて有名になりました。
我々が着いたときは、一人のお年寄りがお墓の玉砂利の掃除をしていて、
丁寧に団栗を拾って箕の中に入れていたので少し団栗拾いを手伝いました。
お墓は、径15メートルの円墳ですが周囲は鉄柵で囲まれ、丁寧に守られて
います。
柵内の樫の木などに烏瓜が巻き付き、小さな赤い実が沢山ぶら下がって
いました。
そのあと平群中学校の西の白山神社を訪ねました。
神社は棚田の奥にありますが、平安時代の高僧「道詮律師」が建てた
富貴(ふき)寺(廃寺)の神宮寺で、拝殿の左に弥勒堂があります。
本堂の上の山中には道詮律師の墓があり、十一重の石塔があります。
裏の参道を登ると、菊畑が開けており、十月桜が咲いていました。
のち、村の坂を登り、60坊あったといわれる富貴寺の中の一つの坊跡に
いきました。大きな槙の樹の下の小さなお堂の藁葺きはトタンで覆われ、
窓は破れていましたが、山茶花が咲いていました。
神社下の駐車場へ戻る途中の小さな池に布袋葵が浮かんでおり、
その葉や茎の上を「かまきり」が水に漬かりながら動いていました。
平群東小学校の北側の「たらふく」で昼食後、
吉備内親王墓を参拝しました。
なぜか長屋王のお墓より少し大きく奥行きがあります。
階段下には無人ですが衛士小屋があります。
以前お参りしたときはつつじの帰り花が咲いていましたが、
今は高い樫の木などを蝶が一匹飛んでいるだけでした。
さらに第二阪奈道路沿いの竹林寺にある行基のお墓を参拝しました。
168号道路からは有里交差点の信号から約500メートル北西へ登ります。
行基は大仏建立にも貢献した奈良時代の高僧ですが、のちにこの地に
竹林寺を建てて住んだとのこと。
お墓は低い方墳でぎっしり生えた熊笹の周囲だけが刈られており、
その跡に小さな草紅葉が見えました。
左の竹林寺の本堂は巾6~7メートルの比較的小さく新しい建物です。
境内の裏庭には小さな蓮池と神変大菩薩(役の行者)のお堂があり、
左の広場の奥に鎌倉時代の高僧忍性の墓がありました。
小春日に眠る如くに親王墓 常朝
走り根の律師の墓へ冬来たる 常朝
内親王墓の高みに秋の蝶 常朝
(長屋王の墓・写真はすべてクリックで拡大)
(富貴寺の坊の跡)
(吉備内親王の墓)
(行基の墓)
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