2008年2月3日日曜日

46.長岡京市・光明寺から長岡京跡・乙訓寺

「アカシア紀行・俳句」2007年11月5日(月)


 11月紅葉の頃、妻、義兄姉らと京都・長岡京市の光明寺を訪ねました。
光明寺は、浄土宗の祖、法然上人が最初に念仏を唱えられ、のちに平家物語に
有名な熊谷次郎直実が建てたお寺で、東海道本線長岡京駅から北西約5キロ、
京都西山のふもと粟生野(あおの)広谷にあります。
写真の総門をくぐり、広い階段を登ると御影堂(本堂)があり、右横に上人の
石棺がありました。そして境内いたるところ紅葉でした。
左奥の御本廟の石段下にいると、鐘が鳴り、大勢の女子高校生が廊下を渡って、
本堂にゆっくり入っていきました。たまたまこの日は京都西山高校の
授戒会(仏弟子となる儀式)の日だったのです。
全員が合掌しながら本堂へ入る姿に、日本の若い人達もまだまだ宗教的な心を
持ってくれるのだと感心し安心しました。
そのあと、石段下の菊花展をみて、お寺を辞し、長岡京跡で大極殿跡などを
見たあと、乙訓寺を訪ねました。
京跡は今はほとんど草地で秋草がぼうぼうと生えていました。
乙訓寺は平安の昔、桓武天皇の皇子早良親王が幽閉された寺です。
境内には橘の木があり金色の実がたわわに鈴なりになっていました。
最初山門とはわからなかった門には桜の返り花が咲いていました。



        授戒会の娘等の合掌紅葉照る     常朝

        史跡碑の高々とある花野かな     常朝

        親王の幽閉の寺返り花        常朝


       (光明寺の総門)


       (長岡京跡)

       (乙訓寺の橘)

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